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コンピュータ・シミュレーションで 半導体デバイス用材料の開発、改良を支援する
金田 千穗子 教授
東北大学 国際集積エレクトロニクス研究開発センター
半導体デバイスには、必要とされる性能を実現するために、用途に応じた様々な材料が用いられます。主要な機能を担う部分では、多くの場合、それらの材料はナノメートルサイズに作り込まれ、デバイス内に収まっていますが、隣り合う材料との界面で原子配列が乱れたり、製造中に受ける熱のせいで、界面部分で材料を構成する原子が混じり合ったりもします。また、どこからか微量の原子(不純物原子と呼ばれます。)が混入したり、本来あるはずの原子がなくなっている場所ができたりすることもあります。原子が規則正しく整列した結晶と比べると大きな違いです。これらの原子配列の乱れや不純物の混入などは、しばしば、デバイス性能の低下等の問題を引き起こします。量子力学などに基づいてコンピュータ・シミュレーションを行い、原子配列の乱れや不純物原子などがデバイス特性に及ぼすであろう影響を調べたり、次世代の材料としてどんなものがいいかなどのヒントを提示して、デバイス開発を支援するのが私の仕事です。
わくわく
将来の仕事として“研究者”が候補の一つになったのは、中学生ぐらいからだったと思います。明確なきっかけはなかったのですが、数学や理科が特に好きだったので、理系へ進んで大学院まで学び続けたいと思っていました。
大学への進路を決める頃には、父から、航空工学関係の学部を勧められたこともありましたが、当時私は反抗期だったのと、相対性理論や量子力学関連の一般向けの本がはやっていたので、物理学への漠然とした憧れを抱いて、東北大理学部物理学科へ入学し、博士課程修了まで仙台で過ごしました。専門は物性理論で、当時からコンピュータを使って研究を行っていました。
博士号取得後は、早く自立して、社会に近いところで仕事の意義を実感したい思い、企業に就職し、研究所に配属されました。それまで、女性の博士は年ばかりとっていて扱いにくいなどと言われ、採用する企業はごく限られていましたが、ちょうど男女雇用機会均等法施行の前年で、大手企業を中心に門戸が広がりつつありました。
研究所では、決められたテーマの範囲内であれば比較的自由に研究を行うことができました。当時、企業が基礎研究所を持つことがブームになっていたことも背景にあったと思います。そこで、開発に役立つ情報を得るために、半導体中の不純物を対象にして、量子力学に基づいたシミュレーションを行うことを上司に提案し、一人で研究の立ち上げを始めました。大学にはシミュレーションによって物質の研究を行う研究者はたくさんいましたが、企業ではまだ少数でした。ただ、私が入社したのは、大型コンピュータを製造している企業だったので、コンピュータの利用環境に関しては比較的恵まれていたと思います。
企業で実際の問題に取り組むには、大学で学んだ基礎を応用するだけでは全く不十分で、入社後の10年位は特に、大学でもっとちゃんと勉強しておくんだったと後悔しつつ、周辺分野も含めたくさん勉強しました。
実践では自分の知識を総動員し、攻略法を様々な方向から考えるのですが、私にとっては最高にわくわくする時間でした。これは今でも変わりません。
その後は30年以上にわたり、半導体をはじめとする材料系のシミュレーションを専門に行なってきました。この間、国際会議を通じて知り合ったイギリスの研究者を通算で半年ほど訪問して、研究を行なったりもしました。また、比較的最近では、データ科学との融合分野であるマテリアルズ・インフォマティクスや、量子コンピューティングなど、わくわくするような新しい技術にも関わることができました。
2020年の5月からは、東北大の国際集積エレクトロニクス研究開発センターで、新たに、デバイス用材料の研究に取り組んでいます。長い歳月を経て東北大に戻ってくるとは、予想もしていませんでした。
開発支援ツールとしてのシミュレーション
私の研究対象は、ナノスケールの微細な領域の中で複数の材料が影響しあう、複雑な構造をしています。半導体デバイスの性能向上のためには、まずは内部がどうなっているかを観測することが重要ですが、観察手段が限られているので、詳細はよくわからないこともしばしばです。コンピュータ・シミュレーションはこのような場合に、微細な領域の様子を探る手段として利用されます。更には、新しい材料を使った場合、どんな性能が期待されるか予測したり、欲しい性能を実現するにはどんな材料をどう使ったらいいかを提示するのも、シミュレーションの役割の一つです。産業的には開発現場での利用が期待されます。
材料やデバイスの開発を最終目的とする場合、シミュレーションは、開発を支援するツールの一つとして利用されるようになることが理想的です。究極的には、研究対象のモデル化を上手に行ない、より速く、できるだけコンパクトなコンピュータで処理できるようになることが重要です。牛丼店のキャッチフレーズ風に言うと、“巧い、速い、安い” です。
そのためには、いくつもの手法を組み合わせてシミュレーションを行なうことも必要で、関連領域に関する幅広い知識が求められます。また、最初のモデル化の部分も重要です。理想化されたモデルは学術的には価値がありますが、応用上は原子配列の乱れなど、個々の課題に応じて、ある程度の複雑さを取り入れたシミュレーションを行うことも、今後はより求められるようになります。複雑さをいかにわかりやすく整理するのか、ここにも様々な知識や研究経験が求められます。
これまで、ナノレベルの材料系シミュレーションが開発を支えるツールとして利用されるために、何が必要かを意識して仕事をしてきましたが、技術分野全体を見ても、まだまだ思い描くレベルには達していません。ただ、最近は人工知能系の手法を利用したマテリアルズ・インフォマティクスなど新しい技術も起こっているので、それらの比較的新しい手法にも注目しています。
大人の部活
~日本女性技術者フォーラム(JWEF)での活動~
日本女性技術者フォーラム(JWEF, http://www.jwef.jp/)は、1992年に創設された任意団体で、女性技術者相互の業界横断的な交流や情報交換をはかり、様々な活動を通じて共に向上していくことを目指しています。
2014年に運営委員長に就任し、その後、経済産業省経済社会政策室の方からいただいたご提案をきっかけに産業技術に関する勉強会を始めました。運営委員長としての2年間の任期を終えてからも、勉強会の運営をJWEFの仲間と一緒に続けています。個人的には“部活”のような感覚です。
この勉強会は、社会で関心の高い技術を取り上げ、我が国の産業の主な動向、今後の課題、施策、技術の現状などを俯瞰(ふかん)する内容になっています。毎回、原則として、経済産業省をはじめとする国の機関と、企業を中心とする先端技術の現場から各1名の講師に講演をお願いしています。これまでに、ポスト5G、ロボティクス、AIチップ、再生可能エネルギー、ジェンダード・イノベーションズ等を取り上げ、開催回数はこの7年間で24回になりました。
講師をお引き受けいただいている技術者の方々や省庁の方々の講演からは、ご自分の技術や仕事に誇りを持って取り組んでいる様子がよく伝わってきて、毎回、深い感銘を受けます。
JWEFでは、勉強会以外にも様々なイベントがあり、それらは、会員の勤務時間を避けて、基本的に平日の夜や土日に開催されます。コロナ禍の影響でオンライン開催が基本になりましたが、全国どこからでも気軽に参加できるのは大きなメリットでもあります。学生は入会費無料で、会員登録さえすれば全てのイベントに無料で参加できます。また、女性技術者を応援して下さる方ならどなたでも、技術者かどうかや性別を問わず、入会やイベント参加が可能です。企業の現役管理職、起業した方、定年退職後の方など、様々な技術分野から、幅広い年齢のパワフルな女性技術者が参加しているので、ぜひ覗いてみて下さい。皆さんが今後のキャリアパスを考える上で、とても参考になると思います。
興味があるなら迷わずに
工学は、社会の様々な問題解決を技術面から助け、未来を創ることに役立つという点で、やりがいを感じられる分野だと思います。女性の参入が少ないのはいかにももったいない。私の場合は、理学から入って、まず時間をかけて基礎を学び、それを土台にして、工学的な視点から産業に向けた応用に取り組んでいます。
工学分野は、長い間男性比率が圧倒的に多い分野でした。男性の中にももちろん多様性は存在しますが、特定の属性が圧倒的多数を占める集合は、ややもすると想像力を欠きがちで、様々な仕組みが多数派仕様になってしまっているので、工学分野に女性が参入するのはバリアが高い、と思う人もいるかもしれません。でも、皆さんが工学系分野に入ってくることによって、バリアの解消が加速されるはずです。安易に“女性の視点”という言い方をするのは好みませんが、女性をはじめとする更に多様な人材が工学分野に参入し、様々な視点から議論が行われるようになれば、研究開発のプロセスに変革が起きるのでは、と期待しています。
工学に興味があるなら、迷わず進んで下さい。