#8
ものの破壊・強度を予測すること
南雲 佳子 助教
東北大学大学院工学研究科 航空宇宙工学専攻
最初は機械への憧れから
私は子供の頃からロボットや飛行機などのメカ的なものが好きでした.記憶にはありませんが3歳の頃にバイクのおもちゃをねだったらしく,小学5年生の頃には飛行機やロケット,船などの大きな機械への興味から将来は機械工学科に行こうと決めていました.そして高校生の進路選択ではやはり飛行機やロケットに関わる技術者になりたいと思い,工学部に進学しました.学部3年生進級時の研究室配属では火力発電用のガスタービンで使われる高温耐熱金属の破壊と強度についての研究テーマがある研究室を選びました.研究していくうちに金属材料を含めた様々なものの破壊や強度は,原子配列の乱れから目に見える変形やき裂といったスケールの異なる現象が複雑に相互作用した結果であることを知り,ものの強度や破壊を扱う材料強度に関わる研究に興味を持ちました.
研究のおもしろさ
航空機やロケットなどをずっと思い描いていたので最初研究室に配属された時は長さ5cm程度の小さな金属の試験片に少しガッカリしていました.しかし,卒業論文で金属に発生するき裂先端の微小な領域における原子配列の乱れについて数値シミュレーションをしていくうちに,その物理的な背景や複雑な現象に興味を持ちました.その頃は卒業したら開発・設計をするような仕事に就くことをイメージしていたため研究者になろうとはこれっぽっちも考えたことはありませんでしたが,修士1年生の頃に指導教員の先生の勧めもあり,自分でも少し研究がおもしろく感じられてきた頃でしたしあまり深くは考えず博士課程まで進学することにしました.そしてもともとは実験系に興味があったので大学院では修士,博士課程を通じて高温環境下での破壊現象であるクリープによっておこる耐熱金属のき裂成長寿命の予測に関する研究をしました.大学院の間はずっと900℃前後の高温環境下での金属の変形する様子を観察し,試験後の試験片を電子顕微鏡で観察するなどしていました.
金属から炭素繊維複合材料へ
最初は耐熱金属を対象に研究をしていましたが,仕事をしていくうちに研究室も変わり,航空宇宙工学専攻の研究室で炭素繊維複合材料に関する研究を始めました.航空機やロケット,車といった昔は金属で作られていたものも,軽量化のためプラスチックなどに置き換わってきています.軽量化と強靭さの両方が求められる世界ではプラスチックの中に炭素繊維を入れた複合材料が使われています.この材料は金属と比べると複雑な壊れ方をします.金属と炭素繊維複合材料では材料の構成が全く違うことから一から勉強することになりましたが,教科書や論文から理論や実験結果についての知見を得つつ,自身で行う数値計算と実験結果を組み合わせて強度の予測や破壊のメカニズムを説明できるときにおもしろさを感じます.しかし同時に世界中の膨大な研究成果を前にして自分の無力さを感じることもあります.
今取り組んでいる炭素繊維複合材料に関する研究は,気候変動やエネルギー問題にも微力ながらも貢献できる分野です.航空機にしても車にしても人々や物の移動手段に関わる分野はこれからも変わらず重要なので,これからも地球環境に優しく経済活動の発展が望めるような研究に関わっていきたいと思います.
日々の暮らし
現在講義はほとんどオンラインですが,日々出勤して研究室内での勉強会や学生と研究の打ち合わせ,残りの時間は自分の研究をして過ごしています.学生時代は実験が研究活動のメインだったので先輩や後輩,同級生たちと朝から晩まで土日も研究室にいることが多くありました.実験は短くても数日,長いと数か月も掛かり,始めたら終わるまで定期的に記録を取って試験が問題なく実施できていることを確認する必要がありました.現在は私自身実験をしていないので,ほぼ規則的な平日を過ごしています.
休日は暖かい時期にはバイクで出かけることが多く,学生の頃からこれまでに北海道や東北地方,北関東辺りの名所は概ね行くことができました.バイク歴も長くなり,職業や年齢,男女関係なく知り合いもでき,遠出しない時は行きつけのバイク屋へ顔を出してバイク談義をしています.今まで西日本方面にあまり行く機会がなかったので今後はそちらを回ってみたいと思っています.また寒い時期はスキーに行って雪山の雄大な景色を楽しんでいます.
工学を目指す人へ
学生時代に同級生の男子になぜ工学部機械系を選んだのか聞いたことがありました.「就職に有利だし選択肢が多いから」という答えが返ってきたときに,みんながみんなやりたいことがはっきりしているわけではないことを感じましたし,私自身も希望だった工学部に入ってから専門が細分化されていく中で自分がやってみたいことって何なのだろうと考えたこともたくさんありました.多くの選択を経て私は今研究者ですが,高校生の頃思い描いていたのは父のように技術者として会社員になることでした.実際に大学に入ってみると専門的な知識が増えていくごとに想像よりも幅広い研究分野があることがわかるので,そこからまた自分の進みたい道も見えてくると思います.