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人体の最前線「皮膚」の世界を工学の力で覗きたい
阿部 結奈 助教
東北大学大学院工学研究科 機械機能創成専攻
人の体の中と外は,改めて比べてみるとずいぶん違う環境です.体の中は水分が行きわたってうるおい,いつも温かく保たれていますが,体の外は乾燥した空気の世界で,暑さや寒さの変動が大きく,異物,紫外線,病原体などの危険も待ち構えています.そんな対照的なふたつの環境の界面(インタフェース)で,生命を維持するために重要な役割を担っているのが,最前線に位置する皮膚です.一見するとシンプルな姿をしているようですが,外界の情報を絶えずセンシングしながら,状況に応じて的確に体内のシステムを働かせる,インテリジェントな顔を持つ器官でもあります.その機能はすっかり調べ尽くされているわけではなく,よく知られていない領域がまだ数多く残されているようで,今もさかんに研究が進められ,知識が広がり続けています.そんな皮膚への新しいアプローチのひとつとして,その働きを知り健康を守るための,便利な道具づくりを目指しています.
きっかけは工学ならではの興味
皮膚の研究に取り組み始めたのはふとした成り行きからでした.機械系で生体に関連した研究を始めるにあたり,しなやかな強さを持つ,機械的特性にすぐれた組織として,浮上してきたのが皮膚だったのです.当初は「柔らかいのに丈夫ですごい」というくらいの認識だったのですが,すごいのはそれだけではないということを,後からどんどん思い知らされました.
毎日のように目に触れる,顔や手などの皮膚について考えてみても,ただじっと黙って衝撃や変形に耐えているだけではないですよね.触れたものの温度や触感など,体の外からくる情報を逐一伝え,何か異常が起きれば痛みやかゆみなどを発します.その表面は毎日少しずつ新しく作り替えられていますし,少しくらい傷がついても,たちまち治してしまいます.そんな特性をロボットの外装などに取り入れたいと,いろいろなセンサーや自己修復機能を搭載した新素材の研究も進んでいるそうなのですが,生き物の皮膚と同じくらいまでに多機能で柔軟な「インタフェース」ができあがるのは,まだ少し先のことかもしれません.
こんなに身近なところに興味深い世界が広がっていて,しかも新しい発見が続いていると知り,驚きました.なかでも目をひかれたのが,皮膚表面の,たった0.1mmくらいというごく薄い層に,小さな電位差が発生しているという報告です.皮膚に傷がついたりすると,それが電気的な変化となって現れることから,健康状態の指標になるのではないかともいわれていました.これは工学の道具が役に立つかもしれない!と俄然やる気がわいてきたのを覚えています.
皮膚の世界への“覗き窓”づくり
この電気的な変化を読み取るためには,皮膚の中まで計測機器をつなぐ窓口が必要です.組織培養で作った皮膚モデルなら,表面に直接切り込みを入れてしまうこともできますが,それはあくまでモデルのための方法.本物の皮膚にも使いやすい方法があれば,幅広い対象で計測ができ,研究が進むのではないかと考え,小さな針を使っていわば“覗き窓”を作ってみることにしました.
すぐに作業にとりかかり,出だしは順調に思えたものの,じき壁にぶつかってしまいました.ターゲットとなる電気的な変化は,大きさにして数mVの比較的ゆっくりとしたものだったのですが,試作した小さな針型の電極は皮膚に触れると電位がずれ,見たい変化が埋もれてしまうのです.材料や方法をあれこれ試しながら,何かヒントはないかと他の研究例を探していったところ,細胞の電気的計測に使われる方法がよさそうだとわかりました.電極を直接触れさせず,かわりに細い管をつなぎ,計測したい点まで電気的な通り道を作るというものです.これを参考に,とても細い注射針を加工して小さな計測装置を作り,ようやく皮膚の中の電位差をかんたんに測れるようになりました.
注射針というと痛いイメージがありますが,技術がぐんぐん進歩していて,用途によっては「マイクロニードル」とよばれる極小の針も使えるようになってきました.また,スマートフォンやスマートウォッチなど,身に着ける形のデバイスで,毎日の健康を管理する技術の開発も進んでいます.そんな最新技術を取り入れて,体の最前線の健康を守る便利なシステムを作るのが今後の目標です.
青葉山を「ホームグラウンド」にして
このインタビューがあった2020年度,私は助教として着任したばかりです.とはいえ,居室のある青葉山キャンパスは学生時代から通い続けたホームグラウンドのような場所で,迷うことなくスタートを切ることができました.仙台の市街地と遠からず近からずのふしぎな距離感が研究にもちょうどよく,窓の外から飛び込んでくる鳥や虫の声,目にも鮮やかな青葉や紅葉などが,屋内にこもりがちな毎日にアクセントをつけてくれます.
初めてこのキャンパスに足を踏み入れた頃には,まさかここが将来の職場になるとは思いもよらず,目の前の勉強や研究などで頭がいっぱいでした.こんなことでこの先やっていけるのだろうかと,心配ばかりだったように思います.それでも少しずつ,実験室での作業に慣れ,そのうち設備をお借りしたいとキャンパス間を巡り歩き,学会発表などのため遠くの街にも出かけられるようになっていきました.傍から見れば小さなことでも,初めて挑戦する本人には一大事.なんとか乗り越えてこられたのは,指導してくださった先生方,一緒に走ってくれた同級生や研究室のメンバー,そのほかにも支えてくださったたくさんの方々のおかげです.今もまだまだ勉強の途中ですが,これからは誰かにとってのホームグラウンドを支えられる教員にならなければ,と気の引き締まる思いがします.
余暇には博物館や図書館,動物園や水族館などへ行くのが好きでした.最近はインターネット上に公開された資料アーカイブを眺めてまわるのも楽しみです.知らなかったものが集まる場所に行くと,世界の大きさが垣間見えるようで明るい気持ちになります.いっとき日常を離れる,なかなかよいリフレッシュかもしれません.
工学を目指す人へ
自分のことを振り返ってみると,「将来は工学部でこんな研究をしよう!」と,始めからきっぱり決断していたわけではなかったように思います.分かれ道のたび,あれを知りたい,これをやってみたい,というほうへ進んできて,運よく今の場所までやってこられたという感じでしょうか.工学分野の研究対象は幅広く,日常生活に役立つ身近なものから,研究のための特殊な道具まで,また,基礎となる知識を確立する取り組みから,具体的にものを作ったり動かしたりするための技術開発まで,実にさまざまです.あまりに広くて迷ってしまうほどですが,いろいろなチャレンジができる懐の深さを感じます.
研究はうまくいくときばかりではありませんが,折に触れて,子どもの頃に実験や工作などで味わった,「ふしぎだな」「できるかな」といった素朴なワクワク感を思い出します.むしろ,うまくいかず困ったときにこそ,そんなシンプルな気持ちが力になるのかもしれません.今,工学を目指している皆さまも,ぜひこの分野の多彩な姿を覗いてみて,面白いところ,ふしぎなところなど,目いっぱい楽しんでもらえたらと思います.
私の研究はまだ始まったばかりで,これからやってみたいことがたくさんあります.皆さまと一緒に楽しい世界を広げていけたら,こんなにうれしいことはありません.