#4
組み合わせ得る合金の種類は無限数。その中から、特別な機能を有する材料を見つけ出す。
梅津 理恵 教授
東北大学 金属材料研究所
研究対象としている物質の中にホイスラー合金というのがあります。分子式でX2YZと表わされ、基本的には三種の元素が2:1:1の比率で組み合わさった金属間化合物です。XとYは遷移金属元素や希土類元素、Zとして半金属・半導体元素が該当するとなると数千種もの組み合わせが考えられます。ホイスラー合金が有する機能性として知られているのは、形状記憶効果、超磁歪、巨大磁気熱量効果、熱電特性など。第一原理計算で理想的な結晶構造や原子配列を仮定した場合の計算がなされ、面白そうな電子状態や機能性が期待されても実際に試料を合金化して作ってみると、別な結晶構造の方が安定だったり相分離したり析出物があったり、と思い通りにはいかないこともあります。「ハーフメタル」という電子状態は理論計算では比較的簡単に示されるものの、実際の物質がそのとおりの特異な電子状態を本当に有しているかどうかを調べるのは非常に難しいものです。磁気特性や電気・熱的輸送特性などの基礎物性を実験室で調べても、なかなか言い当てることはできません。放射光などの特別な施設での研究が必要となり、そのために良質の単結晶試料を作ることにしました。
はじめは研究者志望ではなかった。
研究室の雰囲気が好きで、居心地のいい場所に。
学部と修士課程は東北大学ではない別の大学でした。実験が面白くて研究室にいるのが楽しくて、もっと続けたいなという気持ちで修士課程に進んだだけで学位を取ったら就職するものだと思っていました。長く学生でいることに親に申し訳ないという気持ちもありました。一旦は就職したものの、母親の病気の知らせであっというまに辞職し、まずは実家に帰りました。残念なことに母親は一年ももたずに他界しましたが、自分の将来についてじっくり考えなおす機会を得、修士号まで取得したのだからその次を目指そうという気持ちになりました。父親を1人にさせたくなかったので地元の東北大学での編入を決意して工学部の材料学科へ進みました。研究室は装置が揃い、恵まれた環境でアカデミックな雰囲気がすごく漂っていて、先輩や後輩が優秀でこれまたびっくり。でも、前に進むしかありませんでした。うまくいったことや失敗したこと、どうすればデータを整理してうまく議論をつけられるのか、色々な事を研究室の皆と話し合いました。学会に行きたくて頑張ってデータを集め、初めての論文が受理されると皆がお祝いをしてくれ、次も頑張ろうという気になりました。研究に取り組む厳しさや楽しさ、何もかも全てを研究室で学びました。そんなうちに、研究をもっと続けたいし続けられるのであれば大学で、という気持ちが強くなっていきました。アカデミックの研究職となると思い通りに就職先が決まるとは限らないと聞かされますが、そもそも一度はやり直しているのだから、先のことはあまり心配してもしょうがないなと思っていました。
3人の子育ては毎日が綱渡り。
子育てがようやく楽しく思えてきた。
博士の学位を取得して結婚し、5年間の間に長女、次女、長男と3度出産をしました。結婚したことで生活はさほど変わりませんでしたが、さすがに子供が生まれると生活は激変しました。自分で自由にやりくりしていた時間が子供中心となり、自由がきかなくなりました。研究室に居られる時間は短くなり、実験や解析、文献調査などの研究に関われる時間はすごく貴重なものとなりました。思いつきで実験を始める、ということが全くできなくなり、むしろ計画をしていてもその通り進むどころか中断せざるを得ないことばかりでした。10年間くらいは日々葛藤していたように思います。研究にしても子育てにしてもどちらも中途半端な感じがして、意味があるのかなと考えてばかりいました。
長女が生まれた頃、あちこちの学会で学会期間中に託児室が併設されるようになりました。私の恩師が、私が学会に参加できるように働きかけたのでは?と噂されるほどのタイミングでした。でも、乳飲み子を連れて慣れない土地に出掛け、出先で一時預かりをして学会に参加することは思いのほか大変でありました。子供の体調次第で直前まで行けるかどうかも分からず、荷物の準備に追われて学会発表の準備どころではありません。でも、気が付いたら子供3人を連れて国内だけでなく、国際会議にも出かける程になるのだから、自分でもびっくりです。「為せば成る」。有難いことに子供たちは皆体が丈夫で手がかからず、体調不良で学会参加を断念したことは一度もありませんでした。ヒヤヒヤすることは多々ありましたけど。
子供が乳幼児の頃は日々が綱渡りで大変でしたが、小学生にもなると段々と楽しみも増えてきました。子供たちはそれぞれやりたいことが出てきて、それらの活動を支え、それを通して子供の成長を見るのは親として嬉しいものです。子供を介して研究や仕事以外の色々な人たちとの関わりを持つことも出来ました。仕事と家庭との行き来もだいぶ慣れました。今では長女が高校を卒業し、次女と長男がそれぞれ高校生と中学生。親として必要とされるのもあともう少しかな、と考えると逆に寂しささえ感じます。いや、今度は親の介護が始まるだろうから、結局は何かしらを背負いながら仕事をすることになるのかな。
やりたいことはたくさん。
次世代放射光での実験を夢見て。
「ハーフメタル」という特異な電子状態を何とか言い当てたい、という希望を叶えるために色々な人に相談をしました。放射光施設で何かしらの実験を行えば電子状態に関する知見が得られるのだろうけど、一人では実験を遂行できるわけがなく、共同研究者が必要となります。計測の専門家に興味を持ってもらうためにも、良質な単結晶を作る必要が出てきました。幸いにも外部資金を獲得して装置を購入することが出来ました。単結晶を作るのは久しぶりでしたが、修士学生の頃に経験がありました。何回かは失敗を繰り返しましたが比較的早く成功し、その頃には相談していた知人の紹介で共同研究をしてくれる計測グループと出会えました。はじめに思い描いていた計測手段ではうまくいかないことに気付かされ、異なる手法で取り組むことになりました。一回目の予備実験ではうまくデータを取得できませんでしたが、すぐさま打開策が見つかり、次の本測定では一回のビームタイムで十分なデータを得ることが出来ました。ただ、スペクトルの性状が複雑で理論家とのタイアップが必要となりましたが、それもすぐに協力してくれるグループが見つかりました。今思えば、あれよ、あれよと上手く進んでいったものです。単結晶試料の育成に成功したこともありますが、色々な人に相談しては自分が何をしたいのかを伝えていたことで道が開きました。
さあ、結果が得られたとなれば論文執筆です。自分にとって初めて取り組んだ計測法によって取得したデータ、さらには、プロの理論家がスペクトルを計算したくらいだから解釈もすぐには頭に入って来ず、学位を取得したばかりの頃のような進み具合でした。でも、「為せば成る」。取り組み続けていればいつかは終わりが見えてくるものです。これまた共同研究者の皆様に手を尽くして頂き、論文の投稿&掲載に至りました。これら一連の結果が「第39回猿橋賞受賞」につながったのかな、と自分なりには思っております。賞は個人名での受賞となりますが、学部4年で研究室に配属し、修士・博士課程とポスドク時代、そしてその後も現在までたくさんの方に支えられていることを忘れてはならず、関わってきた全ての方たちの総力で頂いたようなものです。